2022年6月21日火曜日

福山城築城400年記念「能楽交流コンサート」You Tube公開中

 

YouTubeで公開されています!!

誠之小学校で催されたイベント、町会も後援しました

――福山城築城400年記念「能楽交流コンサート」第10回――

 

2022(令和4)年43日(日)に誠之小学校において開催された催しです。西片町会も後援し、『西片だより』763号で予告、765号で報告をしたものです。当日は町内外の方々、また文京区の皆さまが事前申し込みをされ、雨模様にもかかわらず多く参集されました。誠之小学校に新築された地下体育館が公開披露される機会ともなりました。

この全内容が、ユーチューブで公開されています。当日ご参加になれなかった方も、ぜひお楽しみください。

前半の講演「福山藩阿部家と西片町」(阿部正実西片町会理事)https://youtu.be/lGuB2K8vyfM

後半の「能囃子コンサート」(喜多流大島能楽堂)https://youtu.be/5dCVROFDo54

youtube福山城文京区で検索すれば両方が並んで出てきます。

 

【解説】(敬称略)

この能楽コンサートは、文京区と相互協力関係にある広島県福山市の「福山城築城400年記念事業」の一環として開催されたものです。福山市と西片町は歴史的に深い縁にあり、西片の誠之小学校はその絆の象徴の一つといってよいものです。

前半・後半の概要についてごく簡単に説明いたします。

 

1.講演「福山藩阿部家と西片町」(阿部正実西片町会理事)

今からおよそ400年前、譜代大名阿部家が徳川二代秀忠将軍から拝領した江戸の土地のひとつが今の西片・丸山の土地でした。阿部家はその後、福山城主(藩主)となり、また江戸幕閣の中枢にも座を占め、長く江戸の上屋敷・中屋敷(今の西片1・2丁目)・下屋敷をもって政務と生活の場としていました。

幕末の阿部家第11代当主(福山第7代藩主)の正弘(18191857)は老中首座を勤め、嘉永7年(1854年)に米国のペリーとの間で日米和親条約を締結して、“鎖国”時代に幕を引いたことで教科書にも大きく名を残しています。

阿部家は文化年間(19世紀初め)に中屋敷(今の西片)内に、すでに学問所を設立していましたが、正弘の時代になると教育改革の必要が認識されました。新しい時代を担う新たな人材育成を目指して、福山にあった藩校の名を「誠之館」と改めました。正弘は幕末激動の国内外の政治に数々の改革を成し遂げ、安政4年(1857)に39歳の若さで亡くなりましたが、その「誠之」の名が、明治8年(1875)にできた小学校の名に受け継がれました。阿部家からの援助もあって現在の地に誠之小学校が建てられたのでした。

 

2.新作能「福山」をベースとした能囃子コンサート(福山・喜多流大島能楽堂)

福山城初代城主の水野勝成と、幕末の阿部正弘および朱雀(すざく)神が登場する新作能「福山」について、4つの異なった形で紹介、上演がされました。まず映像と語りによる「紙芝居」では、福山城の歴史が幽玄の中に表現され、そこから「居囃子(いばやし)」(囃子(はやし)(かた)の楽器伴奏をバックとした大島能楽堂4代目当主大島政允の(うたい))によって本格的な能の世界に導かれます。ここで一息、囃子方それぞれの楽器の紹介です。能管=横笛は森田保美、小鼓(こつづみ)は久田舜一郎、大鼓(おおつづみ)は谷口正壽、太鼓(たいこ)は梶谷英樹、はじめて見聞きする方も多かったのではないでしょうか。つづいて喜多流初の女流能楽師、シテ方の大島衣恵による舞囃子(まいばやし)「神楽」、さらに大島家第5代輝久と子息伊織による舞囃子「福山」が演じられます。「紙芝居」解説、演目の地謡(ぢうたい)は衣恵、薫子です。説明より何より、映像をおたのしみください。

 

主催:喜多流大島能楽堂(福山市光南町2-2-2)    共催:福山城築城400年記念事業実行委員会

後援:文京区、西片町会、福山文化連盟、福山喜多会  協力:誠之学友会

 

(地縁法人西片町会文化部)