曙坂は白山と西片を結ぶ通路として通学や生活に利用されてきたが、昭和22年(1947)に旧丸山福山町・曙会の尽力により石段坂に改修され、それで曙坂という。桜の季節に曙坂下を通る道から崖上の誠之小学校の裏庭を見上げると、何本もの満開の桜が見事だ。
2013年3月1日金曜日
曙坂〔徳永坂〕(西片2-7と2-14の間)
西片公園(西片2-3)
(現存)
西片会館(西片1-5)
清水橋(から橋)
明治39年(1906)頃には福山出身の建築家武田五一の設計により2代目の木橋に架け替えられた。夜遅く阿部伯爵が清水橋を渡って帰宅されるときは、木橋を渡る馬車の音が静かな西片町に響き渡り、それを合図に阿部家では皆が玄関に出てお迎えしたという。
樋口一葉は日記に、上野の図書館からの帰り道に空橋の下を通った時、書生らしき人物に冷やかされたことを書き残している。
空橋のした過る程若き男の書生なとにやあらん打むれてをはしま(註:橋の欄干)に依かゝりてみおろし居たるか何事にかあらんひそやかにいひて笑ひなとす しらすかほして猶いそきにいそけはひとしく手を打ならしてはうさくにもこちむき給えなといふ。何の心にていふにや 書のかたはしをもよむ人のしわさかとおもへはあやしくも成ぬ
(原文のまま。 わか艸 明治24年8月8日)
明治45年(1912)から昭和19年(1944)まで西片町に住んでいた佐々木信綱は、次のような歌を詠んでいる。
から橋の上ゆ眺むればけぶりの色 木立の色も秋としなれり
第一幼稚園
誠之小学校(西片2-14)
福山藩阿部家第11代藩主阿部正弘は、藩士の子弟を育成するために嘉永6年(1853)、福山藩中屋敷内の藩校を江戸丸山誠之館と改称し、翌安政元年(1854)に開講した。誠之という名は、「誠ハ天ノ道ナリ、之ヲ誠二スルハ人ノ道ナリ」とある儒学の古典「中庸」からとったという。この誠之館が文京区立誠之小学校の前身で、明治8年(1875)に阿部家14代正桓(まさたけ)伯爵の援助(土地、校舎など)を受けて開校。平成25年(2013)には創立138周年を迎え、この間大勢の多彩な卒業生を輩出している。誠之小学校の史料館には、誠之小と阿部家、西片町とのつながりを伝える貴重な資料が数多く保存されている。
なお誠之小学校・第一幼稚園前から清水通り(から橋通り)までを結ぶ一直線の道路は「学校通り」と呼ばれているが、江戸時代から阿部家丸山屋敷内の主要道路(大通り)として開かれていた。
誠之小学校は平成29年(2017)から33年(2021)にかけて、仮校舎建設からはじまる全面改築工事が行われる。詳細は、文京区の「誠之小学校改築だより」
http://www.city.bunkyo.lg.jp/kyoiku/kyoiku/gakko/campus/seishi_kaitiku/y.htmlをご覧ください。(2017年7月記)
誠之小学校は平成29年(2017)から33年(2021)にかけて、仮校舎建設からはじまる全面改築工事が行われる。詳細は、文京区の「誠之小学校改築だより」
http://www.city.bunkyo.lg.jp/kyoiku/kyoiku/gakko/campus/seishi_kaitiku/y.htmlをご覧ください。(2017年7月記)
子育てひろば・西片(西片1-8)
平成9年(1997)開設。西片はもとより、近隣の町々から、入学前ぐらいまでの子どもた ちが父母、祖父母等に連れられ、時にはお弁当を持って通ってくる。ゆったりしたプレイ ルームには遊具やおもちゃ、絵本などが豊富に揃い、テーブルもあって、お弁当もみんな で広げられる。屋外も整備されており、砂場、ジャングルジム、ブランコ、滑り台などが 設置され、夏には水遊びもできる。数名の経験豊かな専門指導員の先生方が見守ってくれ ていて、子育てに役立つ催しも開かれている。
この地はかつて阿部伯爵家の本邸があった場所で、ここに昭和30年(1955)「阿部幼稚園」が開園した。当時園庭からは富士山が望めた。幼稚園は昭和47年 に閉園、49年には文京区立「西片幼稚園」として,新たに開園したが、平成8年休園。翌9年「区立子育てひろば西片」となった。
この地はかつて阿部伯爵家の本邸があった場所で、ここに昭和30年(1955)「阿部幼稚園」が開園した。当時園庭からは富士山が望めた。幼稚園は昭和47年 に閉園、49年には文京区立「西片幼稚園」として,新たに開園したが、平成8年休園。翌9年「区立子育てひろば西片」となった。
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