2013年3月1日金曜日

阿部伯爵邸跡(誠之舎・邸内車寄せ跡・邸内マンホール他)(西片1)

阿部伯爵邸跡(誠之舎・邸内車寄せ跡・邸内マンホール他)(西片1
阿部正桓伯爵は明治期に入り、西片町の邸内で養蚕事業を開始した。養蚕事業が下火になった明治23年(1890)、養蚕室を福山藩出身者の学生寮に転用し、誠之舎と名付けた。最初は現在の日銀寮の地にあったが、後に阿
部家本邸の屋敷跡地に新築した。誠之舎の建物の南側には今も阿部邸時代の築山の一部、庭園の石組みや石灯篭、川跡や石橋、桜の大木などの樹木が残っている。なお阿部伯爵邸の大玄関と大広間は民間会社が購入して南軽井沢に移築保存、応接間の一部は白山神社に寄贈された。

誠之舎を出て北方向の四辻(西片1-10)の角に、4本に枝分かれした「マテバ椎の木」がある。明治24年(1891)に新築された阿部伯爵邸の表門は現在の公園西端の向かい辺りにあった。その表門と大玄関との間の車寄せ付近には大きなマテバ椎の木がこんもりと繁っていたが、そのひこばえ(切り株から出た若い枝)が現在のものである。このあたりには立派な井戸があって、かつて白山神社の祭りのときには、西片町会はじめ柳町、八千代町、指ヶ谷町各町会の神輿が邸内に入り、担ぎ手が井戸の水で身を清めた後、表玄関前に神輿を担いで勢揃いしたという。

西片1の某邸敷地内には、阿部伯爵邸内で使われていたマンホールの蓋がそのまま残っている。四角形で中央に「阿」の字、周囲に「本郷西片町」とある。同様のマンホールの蓋は、誠之小学校の史料館や文京ふるさと歴史館にも保存されている。



西片1の石坂沿いの某邸の塀の下半部は、隣の阿部家の石垣とともに、明治24年完成の阿部伯爵邸の石垣がそのまま残ったものである。このお宅のご先祖は旧福山藩士で、つい最近まで阿部家の鷹の羽紋付きの鬼瓦がのった表門が残っていた。



樋口一葉終焉の地(西片1-17-8)
小説家・歌人として明治期に活躍した樋口一葉(18721896)の旧居跡。本郷菊坂の井戸のそばの住居を離れた一葉は、当時の下谷区竜泉寺に10か月住んだ後、明治27年(1894)にこの地(当時丸山福山町)に移った。うなぎ屋の離れの6畳2間と4畳半の3間で、西片町阿部邸の崖からの湧水が庭の瓢箪形の池に注いでいた。この家で、隣り合わせの銘酒屋の女性をモデルにした名作『にごりえ』が生まれ、『大つごもり』『たけくらべ』『ゆく雲』『十三夜』など代表作が数々書かれた。生涯最後の2年半余りをここで過ごした一葉は、明治29年、結核のため24歳の若さで生涯を閉じた。