誠之小学校を出て左方向に行くと、中山道に上る急な坂道にぶつかる。これが胸突坂で、「丸山新町と駒込西片町との界にある坂を胸突坂といふ、坂路急峻なり、因って此名を得、左右
石垣にて、苔滑か」と『新撰東京名所図会』にある。元禄
10年(
1697)に福山藩主阿部家の屋敷地の内、この坂より北側を幕府に上地(返却)し、その範囲は幕府医師などの拝領領地となって丸山新町と称した。
武家屋敷時代には誠之小学校前の道から胸突坂に出るところには門(無常門)があり、門のそばの左角には大榎の木が明治期以降まであったようだが、今はない。