2013年3月1日金曜日

清水橋(から橋)

明治13年(1880)、西片町と森川町(現本郷6)を結ぶ木橋が架けられた。これが初代の清水橋である。かつては東大農学部方向から清水が流れてきていたが、明治時代の後期には道の端に狭い流れが残るだけになり、から橋(空橋、伽羅橋)ともよばれた。
明治39年(1906)頃には福山出身の建築家武田五一の設計により2代目の木橋に架け替えられた。夜遅く阿部伯爵が清水橋を渡って帰宅されるときは、木橋を渡る馬車の音が静かな西片町に響き渡り、それを合図に阿部家では皆が玄関に出てお迎えしたという。
樋口一葉は日記に、上野の図書館からの帰り道に空橋の下を通った時、書生らしき人物に冷やかされたことを書き残している。
空橋のした過る程若き男の書生なとにやあらん打むれてをはしま(註:橋の欄干)に依かゝりてみおろし居たるか何事にかあらんひそやかにいひて笑ひなとす しらすかほして猶いそきにいそけはひとしく手を打ならしてはうさくにもこちむき給えなといふ。何の心にていふにや 書のかたはしをもよむ人のしわさかとおもへはあやしくも成ぬ
(原文のまま。 わか艸 明治2488日)

明治45年(1912)から昭和19年(1944)まで西片町に住んでいた佐々木信綱は、次のような歌を詠んでいる。
から橋の上ゆ眺むればけぶりの色 木立の色も秋としなれり



清水橋は何回かの改修工事を経て、平成29年(2017)から31年(2019)にかけて全面的な架け替え工事が行われる。(2017年7月記)